スマホが普及し、LINEなどの通話アプリをメインに使うようになってから常々感じている違和感をまとめました。
ガラケーと従量制の思い出
10年以上前は、電話をかける=通話時間に応じた従量課金を支払う、が基本でした。
LINEは存在していなかったですし、Skypeはパソコンでしか使えなかったので、
携帯電話の電話機能がメインの通話手段でした。
通話料を少しでも減らすために、用件は端的に伝え、話が済んだらさっさと電話を切っていました。
高校や大学では、彼女との電話量が月々いくらになったか自慢(?)し合っていました。
自分が使っていたソフトバンク(さらに昔はボーダフォン)の場合、一部の時間帯で通話無料というプランが後に登場したため、その時間帯を狙って電話していたのを覚えています。
そうでない時間帯は、電話をしながら通話料が今いくらくらいになったかを常に意識していました。
通話定額プランの輝かしい歴史がwikipediaにまとめられています。
LOVE定額だとかゴールドプランだとか、当時を思い出させる懐かしい単語ばかりですね。
電話料金を気にしなくなって世界が変わったが...
やがてスマートフォンが普及し始め、電話は通話アプリを使って行うのが当たり前になってきました。
通話料を気にせず、ストレスフリーに電話を楽しめるようになったはずでした。
しかしながら、電話を通じて感じるストレスは以前より減るばかりか、むしろ増えてきたような感じがします。
5分、10分で済む連絡にも関わらず、余計な会話や、さらには沈黙して他の作業をしているような時間が積み重なり、通話時間が1時間に達することが当たり前となりました。
この時間の浪費が一番のストレス要因となっていると思います。
通話無料が当然となり、費用はかからなくなったものの、時間という別の財産は以前よりも削られるようになってしまった感覚があります。
そして、昨今のテレワークや在宅勤務の促進で、その傾向はさらに強くなっています。
「電話はお互いの時間を消費する」という意識によって働く忖度
従量制の通話の場合、料金を支払いをするのは電話をかける側です。なので電話の内容や流れは、かける側がリードするようになり、自然とテキパキとした感じで会話が終わります。
一方で通話アプリの場合は、会話を短時間で終わらせてもお金の節約にはならないため、ついついダラダラと話しがちになります。
お金についてはそれでいいのですが、時間という大事な資産が浪費されるようになってしまいます。
長電話をしていると、「自分の時間が無駄になっている」という感覚によってストレスを感じますし、
逆に自分が電話をかけることで相手に迷惑を与えるという罪の意識が生まれます。
さらにその結果、電話で伝えるべきことも、テキスト(チャット、メッセージ、メール)に頼るようになり、
コミュニケーションの齟齬すら生まれやすくなっていると感じています。
このような意識の変化で、電話を通じて感じるストレスは以前と変わらないかむしろ増えてしまった気がしてなりません。
くどくどと書いてしまいましたが、要は、電話はテキパキと手短に済ませましょう、という話でした。